<まっすぐ>
千早は急いでいた。
溶け始めてぐずぐずになった雪がブーツに飛び散ったのも気にせず。
その理由は、冬馬に呼び出されたミーティングに少し遅れそうだったからだ。
「おはようございます!」
ドアを開けて開口一番千早は挨拶をした。
「おはよう、遅れるかと思ったぞ」
冬馬はそう言って意地悪な笑みを浮かべた。
「すいません」
謝辞を述べながらバッグを置いた千早は冬馬に手渡された水を一気に飲みほした。
「今日は有意義なミーティングになるといいな」
呟く様に冬馬は言うとミーティングルームに入って行った。
いつもと変わらぬ口調でそう言った冬馬の様子に千早は少し首を傾げた。
息を整えてから千早はミーティングルームに入ると冬馬の正面に腰を下ろした。
すると冬馬は薄い笑みを浮かべて首を小さく横に振った。
「今日はこっちに座ってくれ」
と言って自分の隣の椅子をポンポンと叩く。
「え?ミーティングなのでは?」
千早が困惑を表情に映すと冬馬は少し苦笑いしながら答えた。
「いや、ミーティングなのは確かだけど今回はちょっと大掛かりなミーティングだからな」
「そうですか…」
冬馬が言うので千早は冬馬の隣に座りなおした。
「楽しみにしててくれ」
「はぁ…」
何を楽しみにすれば良いのか解らないまま千早は曖昧に返事を返した。
「今日のミーティングの内容は千早の今後の方針だ」
「そうなんですか?」
「ちょっと聞くんだが千早は今のままソロでやって行きたいか?」
突拍子もない冬馬の質問に千早の頭には疑問符が浮かんでいた。
「どう言う意味で?」
千早が訝しげに返すと冬馬は首を振った。
「違う、千早の実力が衰えて来たとかそう言うんじゃない。ソロでも充分通じる。新しいジャンルを開拓してみないか?」
そう言うことだ、と冬馬は最後に付け加えた。
「ユニットを組んでみると言うのは面白いかもしれません。多方面にアピールが出来るのは何よりです」
「同じボーカル系の相手なら良い起爆剤になるか?」
「そうですね、それならそれで切磋琢磨してお互い能力の向上を望めるのではないでしょうか?」
千早の答えを聞いて冬馬はチラリと笑みを見せた。
「なるほど、なら問題なさそうだな」
「と言うと?」
「実は1件オファーがあってな、期限付きでも良いので千早とデュオを組みたいそうなんだ」
「なるほど」
それでそんな質問をしたのかと千早は納得がいった。
「もちろん、話題性を高めるのには良い話だが問題は2つ」
「2つ?」
千早が聞き返すと冬馬は人差し指をピンと立てた。
「1つに千早自身の考え。嫌だと言われたら断るしかない。だから敢えて今聞いた」
「何故です?」
「千早は今トップに立っている。以前の様にトップを目指していた頃のしがらみが無い今、視野を広げるには都合がいい」
千早は小さく頷いて答えた。
「もう一つの問題は相手のランク」
そう言って冬馬は人差し指と一緒に中指を立てた。
「千早がトップに立った今、相手が低ランクでは話しにならない。話題性を求めるなら尚更だ」
「プロデューサーの出した条件は…」
「最低Aランク」
「…」
少しだけ聞かなければ良かったと千早は後悔した。
確かに自分は高い位置に居るとは言え、その条件を押し付けるのはなんとも傲慢な気がしたからだ。
「CDの売上、グッズ、その他諸々の利益と言った千早自身に関係ない物もあるのだが―」
そこまで言うと冬馬は口端をにぃっと上げた。
「これだけのプラス要素があるのなら誰が反対しても文句は言えまい?」
冬馬の言う事は至極最もだった。
つまり、冬馬は会社の利益を考えた上でこの条件を出し、条件をクリアしたなら誰にも邪魔されない様に
予め釘を打っていた形になる。
冬馬としても面白い話しだったのかも知れない。
話している冬馬の顔は何処か嬉々としていた。
「当然、この場が設けられているのだから相手は条件をクリアしてきた訳だが」
「なるほど、それで相手は―」
千早が言い終えるより先にドアが軽くノックされた。
「来たみたいだな」
冬馬が「どうぞ」と声を掛けるとドアはゆっくりと開かれた。
そこから、顔を出したのは
「え?」
「千早ーーーーーーっ♪」
麻鈴である。
麻鈴は一足飛びに千早に駆け寄ってギュッと抱きついた。
「会いに来たよー♪変わってないねぇ♪」
髪をアップにして相変わらずの装飾品をチャリチャリ鳴らしながら麻鈴は小刻みに跳ねていた。
「ち、ちょっと!」
千早が立ち上がっても麻鈴は甘える猫よろしく顔を擦り付けている。
「デュオの話しって貴女だったの?」
千早が言うと麻鈴はやっと千早を見上げて微笑んだ。
「あははっ、びっくりしたー?」
「そ、それはそうだけど…」
「やぁったね♪」と麻鈴が嬉しそうに笑った。
そんな二人の様子を見て冬馬はわざとらしく咳払いをした。
「感動の再開は後にして。麻鈴、とりあえず席に着いてくれ…」
「はーい♪」
冬馬に言われた事に素直に返事をして麻鈴は千早の正面に腰掛けた。
千早には何がなんだか解らなかった。
冬馬の口調からは麻鈴を知っている様にも思える。
勿論、話しを受けたのは冬馬なのだから知らない訳は無いのだが問題は麻鈴がどうして冬馬を知っているのかだった。
何かしらのツテが無ければ千早を差し置いて冬馬と面会をすることなんて出来ない筈だ。
「麻鈴、プロデューサーは?」
冬馬が聞くと麻鈴はドアの方を指差した。
「兄さんは社長さんに挨拶してるよー。長くて…麻鈴だけ先にこっちに来たんだ♪」
麻鈴が言うと程なくしてドアが再びノックされた。
「どうぞー♪」
麻鈴が嬉しそうに答える。
「ごめんごめん、ちょっと長引いちゃって…」
と申し訳なさそうにに謝辞を述べながら入って来た人物を見て千早の目は点になっていた。
「久しぶりだね、千早」
と入って来た男性はニコリと微笑んだ。
「う…そ?」
そう言うのは無理も無かった。
冬馬が言った麻鈴のプロデューサー。
麻鈴が兄さんと呼ぶプロデューサー。
過去に自分のプロデューサーをしていた人。
悠也がそこにいた。
麻鈴が兄さんと呼ぶプロデューサーは悠也の事で、悠也は冬馬と同期でと 千早の頭の中は整理に忙しかった。
「さて、役者は揃ったかな」
悠也が麻鈴の隣に座るのを確認して冬馬は言った。
未だ茫然自失の千早が立ったままなのを見て悠也が笑った。
「ちょっと度が過ぎたかな…」
「みたいだな…千早?」
冬馬が声を掛けると2,3度目を瞬かせて千早は席に着いた。
「紹介する必要は…無いとは思うが一応してもらうか」
冬馬が言うと悠也は一つ頷いた。
「この度、765本社に所属する事になった」
「柏原 麻鈴です♪今のところAランク♪」
麻鈴はそう言ってVサインを作った。
「とそのプロデューサーの対馬 悠也です」
「所属?」
千早の問いに麻鈴が答える。
「そ、所属♪こっちに引っ越してきたんだよ。今度からはこっちで活動するんだ♪」
麻鈴が答えると未だ事態を把握しきれていなかった千早の脳裏に一つの光景が浮かんだ。
麻鈴のプロデューサーは悠也だった。
麻鈴は千早に会いに来たかった。
それだけじゃなく千早とずっと一緒に居たいと考えていた。
それを悠也に相談した所、デュオの話しが出てそれを冬馬に持ちかけた。
パズルのピースがカチリとはまった瞬間、千早はなんだか悔しくなった。
「知らぬは千早ばかりなり」
と言わんばかりのその光景と今の状況に。
「…はぁ」
小さな溜息を吐いて千早はようやく落ち着いて座りなおした。
「私だけ蚊帳の外だった訳ですか?悠也さんは知っていたので?」
千早が聞くと悠也は頷いて答えた。
「麻鈴に千早が友達だと聞いた時は流石に驚いたけどね」
と肩をすくめる姿に千早は思わず笑みを零した。
「麻鈴?」
「なぁに?千早」
「よく頑張ったわね。会いに来てくれて嬉しいわ」
その言葉は千早の素直な気持ちだった。
「えへへっ、ありがと♪」
「よくあんな無理難題聞いたわね」
千早が冬馬に視線を移すと冬馬は少しだけ嫌そうな顔をした。
「人聞きの悪い…」
そう言う冬馬も少しだけ表情が豊かになった様な気がした。
「麻鈴ね、千早と別れた日からずっと決めてたんだ。千早を目標にして頑張ろうって」
そう麻鈴は少し頬を赤くして続けた。
「千早の事大好きだし、兄さんも大好き。目標になってくれた千早を育ててくれた冬馬さんも」
「だからね、どんな条件でもきっと辛くなかったよ?目標に向かってまっすぐ進めばいいだけだもんね♪」
ちょっと嬉しそうに、ちょっと照れ臭そうに麻鈴はそう言って八重歯を見せて微笑んだ。
「麻鈴、ありがとう」
思わず涙腺が緩みそうだったのを堪えて千早は麻鈴に負けない位の笑顔で返した。
「悠也には勿体無いな」
冬馬が言うと悠也が返した。
「千早も冬馬には勿体無いだろ?」
「麻鈴は千早が居ればいいかな?♪」
麻鈴が意地悪そうに言うと悠也を残して全員がクスッと声を出して笑った。
私は今、記者会見に臨んでいる。
それはもちろん隣に座っている麻鈴とデュオを組む事になったので、そのお披露目の為の会見。
プロデューサーや悠也さんが喋る度にパシャパシャと煩い位のフラッシュが焚かれてろくに話し声は聞こえない。
隣の麻鈴はフラッシュ慣れしていないのかその都度「んにゅ〜」とした顔で目を細めている。
その様子がなんだか微笑ましい。
まさか、こんな事になるとは思っても見なかった。
デビューが決まってから同じ事を二人で考える楽しさを知り
それが大切な人と共に失われる辛さと寂しさを知った。
独り、歌の練習に明け暮れていた毎日が懐かしい。
あの日、悠也さんと出会わなければ今この場に私は居ないだろう。
きっと今も孤独に歌を歌い続けているに違いない。
なんの変化もない単色のつまらない歌を…
それが今やデュオを組もうと言うのだ。
昔の自分からは想像出来ないだろう。
だから麻鈴と組んで最初の歌はこれと迷うことなく決めた。
麻鈴もそれに快く賛成してくれた。
今までの私が知りえなかった事。
仲間を思う優しさ
人を想う暖かさ
想われる嬉しさ
失うことの寂しさ
別れの辛さ
つい零れてしまう笑顔
知らぬ間に溢れてしまう涙
そんな全てを込めて歌う事が出来たらと思う。
お互いを思った 私 と 悠也さん
私を見てくれていた 麻鈴 と プロデューサー
同じ志を持つ 私 と 麻鈴
私達を導いてくれた 悠也さん と プロデューサー
「私、如月 千早と」
「柏原 麻鈴のファーストリリースは♪」
そんな私達の複雑で単純な 関係
「relations!」